久しくCDレビューはしていなかった。別にやりたくなかったわけでもないんだが、まあここに書くよりはAmazonとかのレビュー欄に書いたほうが世の中の役に立ちそうな気がしたからなのだが。って、結局書いてないんだけど。
数日前にNHKのFMで本田路津子の特集が流れたらしい。名前をご存知の方は少ないと思うけれど、この「一人の手」なら知ってる方多いかも?
この歌詞を学校で歌ったよという方もいらっしゃるのではないかなと思う。私もそんな記憶がある。
これには原曲がある。
英語のいくつかのバージョンを調べてみると、少しずつ歌詞が異なっているが、概ね言ってることは一緒だ。
Wikipediaによると、ピート・シーガーが曲をつけたのだそうだ。「線路は続くよ…」もそうだっけな。いや、あっちは曲があって、それを彼が歌ったのか。
さて、日本語版の話だ。本田路津子がこの曲をヒットさせるより前に、高石友也が歌ってレコーディングしている。歌詞はかなり違う、プロテスタント色が強い。1967年9月に発売されたアルバムに収録されている。おそらくもっと前から歌っていたことだろう。
この歌詞の違いをどうみるか、どう感じるか。時代の違いと言うにはそれほど離れてもいない。高石友也の歌詞は学校では歌わせられないと判断されるかもしれない。「一人では世界は変えられないがみんなでならできる」という。世界というのは自分の周りのことだろう。小学生ならば世界は家庭と学校だ。そして、みんなで変えるべき世界があるとするなら、それは学校だ。それが成功するならば、おとなになれば日本だって世界だって変えられるということだろう。
本田路津子がシングルとしてリリースしたのは1971年9月。歌詞は本田自身が書いている。体制を変えようなどという強い意図はあまり感じられない。一人では達成できないこともみんなでならば達成できるというメッセージである。
最近「
映像の世紀
」をまとめて視聴した。これ全部見ると1日かかる。人が苦しんでいる映像が大半だ。虐殺され、戦争で死に、難民になって行き場を失い、憎しみに苦しむ。
思うんだよね、変えたい世界があるならば声を出せばいいんだよ。「でもみんなの力でならきっとできる、其の日が来る」なんてのんきに言ってられる時代じゃないかもしれない。結局なにも変わってないかもしれない。声を上げたら殺されるかもしれない(日本でだってそうだよ)。実際声を上げて変わらなかったら、精神的には疲弊する。次は声を上げられないかもしれない。でもさあ、言っとかないとなかったことになるんだよねえ。
ところで、冒頭で紹介した本田路津子の歌詞は、最期の部分で「主」という言葉が登場する。実際賛美歌集にも収録されているのだそうだ。
この歌について、書いていらっしゃる方がいた。紹介させてほしい。
一人の手:One man’s hands – マジックトレイン・ブログ
いずれにしても、歌は人になんらかの力を与えているんだなと思う。かなり徒然だな。