映画レビューであるが、どちらかといえば昔話である。
静岡県に
ねむの木学園
という場所があることをご存じの方も多いと思う。1968年にできたのだそう、50年以上前のことだ。その最初の園長だったのが宮城まり子さん。
学園を舞台にした映画が制作されている。調べてみたら4作ある。私が知っているのは続編に当たるもの。1977年に公開され、母が映画館で観たようだ。画集とサントラのレコードがうちにはあった。このサントラは私もよく聴いた。
そしてこの映画、DVDで発売されている。Amazonとかではすでに手に入らないが、
ここ
でなら手に入りそう。
レコードを処分してしまってから、買い戻せそうなものはCDで買ってきた。いろいろと手に入らないものもあるのだが、運良くこのサントラは買えた。映画DVDのおまけだったけれど。
学園ができたときと今では障碍者を取り巻く社会状況はおおきく違う。私はその道の専門家ではないが、肌感覚として、障碍を持った子どもたちが親から切り離されていたように感じる。学校が遠いから寄宿舎に入るというのではない、社会が受け入れなかったのだろうと思う。『
典子は、今
』の典子の父親は、彼女の短い手を切断するように医師に頼む、今ならありえない。そしておそらく離婚している。
私の周りでも、親戚の冠婚葬祭には出席させないとか、障碍がわかったら施設に入れたままにしているなんていう例はそこそこあった。地域差とかあるので、「そうでもなかった」という意見もあるだろう。が、このねむの木にいる子どもたちの多くが両親が揃っていなかったりしたのだという。
おそらく1960年代に、そんな状況の子どもたちをどうにかしたいと思い始めた人たちが複数いたのだろう。そのうちの一人が宮城まり子だったのだと思う。
改めてこの映画を観た。私は、とにかくいたたまれない、というのが感想だ。だれがって、まり子さんがだ。子どもたちは、自然で正直だ。怒りも悲しみも喜びも自然だ。そこに寄り添っているまり子さんがいたたまれないのだ。
本当に大変だったと思う。教科書もない、事例もない、話を聞ける人もいない。そんな状況で、自分の感覚と子供達の反応を頼りに、リハビリを続ける。とにかく目の前の子どもたちが幸福であるようにと願うのだ。テクニック的には今ならばやらないようなこともあるだろう。この映画で行われていることが現代の支援のあり方として参考になるかどうかは、テクニック的にはわからない、いや、ならないだろう。が、この映画が語りかけてくるものはそんなことではない。
最後に歌われる歌で、この願いが叶うのはいつでしょうと問う。「繰り返すのです、道は遠い、海は広い、山は高い、だから繰り返すのです」と答えるのだ。きっとまり子さんの気持ちなのだと感じる。
障碍者(特に障碍児)支援に関わっているような人には、一度観てほしいなと思う。初診を思い出すためにも。