怪しげな活動記録

私はSei Kenと申します。本名は、切明政憲というのですが、プログラミング・音楽活動など創造的な活動をしているときは”Sei Ken”という名前を使っています。英語圏の方とお話しする数少ない機会の時もSei Kenで通しています。

このページでは私がどんな怪しげに生きてきたかを紹介します。ご意見ご質問などはseiken@ARGV.orgまでお願いします。

1972年12月22日、福岡県に生まれました。とりあえず普通に幼稚園・小学校・中学校と終了していきました。

小学校のときにポケコン(っていうのかな)を持っていた先生に出会います。BASICが主流言語だった当時、占いゲーム・野球ゲームなんか作って見せてくれていたのを思い出します。思い出してみれば、今こんな仕事をしているのは彼の影響でしょうか(このページを見ていませんか)。モールス符号なんかも一緒に勉強したような記憶もありますね。

中学の時にアマチュア無線の免許を取得、パケット通信とか言うものの存在を知りますが、もっぱらしゃべることとコンテストをやっておりました(現在は休止中)。引っ越してアンテナが設置できません、なんとか設置して楽しみたいところです。

高校から東京に出てきます。寮生活を始めたのですが、入寮2カ月で門限を2時間遅れてしまうという(今でも高校生の記録らしい)ことをやってしまいます。東京はなかなか楽しいとこですな(笑)。

寮の部屋にアコースティック・ギターが1台ほったらかしてありました。先輩からこれを貰った私は、遊び始めました。それまでギターなんか触ったことなかったのですが(^_^)。その後数回のバンド活動では、パンクロックを中心に演奏してきました。15年ほど前に前にそれなりのギターを購入,練習しないので一定以上うまくなりません.

高校2年生の時、修学旅行の文集を製作することになり、その編集作業をやることになりました。これが私のパソコンとの直接の出会いです。ワープロしか使えませんでしたが、とにかく「パソコンはおもしろそうである」というなにかを感じたことは間違いありませんでした。

高校3年生のとき、水泳部というのができました。3年生になったから部活は終わりだ、と誓った私に水泳部の先生はひとこと。「練習は週に一度くらいでいいからさ、水泳やろうよ」と。のこのこ入っていった私でした。結果は、

  • 東京大会・関東大会のための練習
  • 夏の合宿
  • 週に3度以上の練習

ということでした。楽しかったし、その後も水泳を続けるきっかけになったので、まぁよしということにしましょう。先生ありがとうございました。そして、一緒に泳いだみなさん、どうしてますか?私はまた泳がなくなってしまいましたが。

高校を卒業した私はまだまだ東京に居座ります。3年間学校に行くことになりました。しかし真実は……!

コンピュータ言語を本格的に学び始めるのはこのころです。まだ自分の機械を持っているわけではありませんでした。C言語を勉強し始めますが、いっこうに上達しません(笑)。UNIXなどという言葉もこのころ憶えます。NECのワークステーション4800とか、OKIのLUNAとかにあこがれてみたのもこの頃。まだまだパソコンは16bitだった時代。

学校内に共同で使うことのできるパソコンが数台ありました。PC-9801DXなんてなつかしい機種ですが、そのうち1台を私物化しておりました。とうとう先生はハードディスクに『切明』なんて張り紙するし…。当時はハードディスクはコンピュータには内蔵されていませんでした。今では考えられないくらい少ない容量、100メガは高級品。

3年が経過し、所沢で情報処理の教育を受けます。そこでようやく自分のパソコン(余生をUNIXマシーンとして過ごし、2000年に引退)を購入します。本業もそこそこにパソコン通信にはまってしまいます。しかし、この中から多くのことを学んだように思います。パソコン通信ホストも運営していましたが、ハードディスククラッシュと機材の不足のため閉鎖してしまいました。会員の方ごめんなさい。

ということで、95年にめでたく就職する訳なのですが。その後の活動について興味を持たれる方もいらっしゃるかと思います。これについては近いうちに「怪しくない活動記録」を掲載したいと思いますのでそちらでお楽しみください。それにしても就職してからそろそろ20年になるのか。いやはや、計算機を取り巻く状況も通信をとりまく状況も変化しましたね。